2008/07/15(Tue)
悲鳴
異風の少年が虫の屍骸をひろって
夏の真下を駆けて行く
漂っていたおれは
少年になんらかの指標を頼もうと
裸足で跡をつけて行く

たどりついた白波の荒い海でおれは
誰かに見せびらかせそうな
きれいな形と色の
開きっ放しの貝殻を鞄におさめて回る

すると急に少年がむじゃきな笑顔で寄って来て
なにか意味不明の言語でおれに訴え出し
しかもこちらの困惑を碌に聴く様子もないから
手伝えと言いたいのだとおれは解釈する
それから少年がするようにおれも
ねばつくような臭いの浜辺に虫の屍骸を並べて見せる

騒がしい波音とはじめての言語で
わずかに儀式のような畏れを識りながら
おれは自分で自分が気味わるく思われて来る
しかしやはり少年が笑いかけるから
仕方なくおれも
苦苦しく左の頬を吊りあげて笑い返してやる

若若しい瞳に未来の卒業をのぞむほど
少年はデカダンな芸術性を既に認めているのだろうか
手前に並び終えた四十不足の屍骸が
カシャカシャと潮風に吹かれて
おれは寂しさをさんざんつきつけられた挙句に
少年の横で強度の悲鳴をあげる
その響きが深海のなにを喚ぶのか
おれ自身もわからない

不図おれの腕を掴み歩き出した少年が
隣で屍骸の一体一体を説明する
青い血管が浮き出ているかぼそいその腕で
少年は何者かを失くして来たのにちがいない
もしインタープリタがこの場にいて
「兄」や「友」といった日本語を差し出すなら
おれはどんななみだを以てこの幼い男を愛せるのだろう

数えて三十八体目
おれに捧げたかったらしい短い単語を発し
少年は愈愈もう笑わない
それから最後の屍骸を指差して
おれがしたように少年は無惨な悲鳴をあげる
青い悼みを刻んだ二人の腕にしか
その名は抱だけないと言えるのだろうか
止どまる潮風
波音
鞄の中から
カツャカツャとくぐもり声がする
 
 
  
     * * *


敬愛する姉にこの詩は読んでいただいて、
感想が「意味がわからなかった」だったので
こりゃまずいと焦ってます。
自己満足で終わらないように、
下手ながら読解のヒントを載せてみますね。


注)

   屍骸=死骸

   碌に=ろくに

   畏れ=おそれ

   識る=しる

   卒業=ある状態や段階を通過すること

   デカダン=退廃的

   不足=たらず

   喚ぶ=よぶ

   不図=ふと(不意に)

   失くす=なくす

   インタープリタ=通訳(interpreter/インタープリター)

   以て=もって

   愈愈=いよいよ

   悼み=いたみ

   抱だく=抱(いだ)く

   止どまる=止(とど)まる



何から書けばいいのかわからないのですが、
まずこの詩で「少年」を登場させて伝えたかった最も大事なテーマは、
「死(ひどい悲しみを生む別れ)を見つめる」ということです。

一連。
「夏の真下を駆ける」ような爽やかな「少年」が、
「虫の屍骸をひろう」という奇妙な行動をとっています。
「おれ」は道に迷っていたので、
(書いてませんが)当然不気味に思いながらもついて行きます。

二連。
荒海(死を暗示するようなイメージ)に辿り着いて、
「おれ」は「きれいな貝殻」を集め出します。
「おれ」を、「詩人としてのみそた」だと考えるなら、
その「きれいな貝殻」とは「感動させられた詩」という意味に変わるでしょう。

三連。
「少年」が話しかけてきます。
しかし日本語じゃないので、何を言っているのかさっぱりわかりません。
「おれ」は言葉を切り離し、気持ちだけを推測し、「少年」を手伝うことにします。
「砂浜」をいかにも「死」を強調するような描写で表しました。

四連。
「儀式」という言葉自体に作者は、崇高で怖いイメージをもってます。
「畏れ」です。
加えて「屍骸を並べる」という行為に「おれ」は気味わるさを感じてます。
しかも「死」が背後にあるここでの儀式とは、いわば「葬儀」です。
「少年」は(感謝して)笑いかけますが、「おれ」は到底笑えません。

五連。
「未来の卒業」とは、未来を手放す、つまり主に「死」を意味したものです。
「死」への憧れを「少年」がもっているかもしれないと「おれ」は心配します。
並べられたたくさんの屍骸にとてつもない「寂しさ」を見て、
「おれ」はとうとうここで「悲鳴」をあげました。
深海(死の深い部分)からなにか言葉を引き出そうとしたのだけれど、
具体的にはなにも出てきません。

六連。
「少年」が屍骸を一体一体指さしながら説明しだします。
「説明できる」ということは、つまり
「屍骸の一体一体に確かな位置づけ」があることを意味します。
そのとき「少年」の腕が「おれ」の目に入ります。
その腕を見て、「少年」が自分に一生懸命何を伝えたがっているのか推測すると、、
「なにかを失ってきた悲しい過去がある」のだという確信がわきました。
通訳が日本語に直してくれて、
その説明の中にもしも「兄」や「友」という言葉を用いていたら、
言い換えると「虫の屍骸が少年の『家族』や『友人』の死体の代替だったとしたら」、
「おれ」は「どんななみだを以てこの幼い男を愛せるのだろうか」と自問するのです。

七連。
全部で三十九の屍骸がありました。
「短い単語」の正体は読者にまかせたいので言及しません。
ここで、強がっていた少年の隠しきれない悲しみがこみ上げてきます。
「少年がするように屍骸を並べる」「おれがしたように悲鳴をあげる」
ここに互いに倣おうとする一種の信頼関係を理解してくれるとありがたいです。
「青い悼み」は少年の血管を受けての表現です。
「悼み」というのは、「人の死を悲しみ嘆くこと」の意です。
「その名」は、先ほどの「単語」をさします。
(「単語」が「おはよう」だったとしてもそれを「名」と考えてください)

Q「その名は抱だけないと言えるのだろうか」
A「鞄の中からカツャカツャとくぐもり声がする」
鞄の中には「開きっぱなしの(=動かない)貝殻」(詩)が詰まっていました。
それが、音を立てて動きだしているのが聞こえるわけです。
あとはもう、読者に「みそたが何を言いたいのか」考えて欲しいと思います。

自分なりにがんばって解説したつもりですが(書き足りない部分もある)、
わかりにくかった、むしろもっとわからなくなったという方がいましたら、
本当にごめんなさい。
そこで最後に、「こう考えたらわかりやすいかも」ってことで大サービスの一例を提案いたします。

少年を「弟」、おれを「死んだ兄」と考えるわけです。
「短い単語」というのは『(兄の名)』。
「死んだ兄」には記憶がありませんが、
深層心理に思い出されるものがあるとします。
この設定があれば雰囲気が読みとりやすくなりますかね。
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コメント
-  -
読解ヒントの前にコメントしちゃいます。笑
さすがみそたさんだなぁと鳥肌が立ちました。
無邪気、不気味、白と黒。
僕の頭に入り込んだイメージです^^
ある意味読解ヒントの前に読めて
僕は幸せなのかもしれませんね^^

よんだあとは
ちぎれそうな胸の切なさが残りますね。
それでも素敵な詩でしたw心から尊敬します><
2008/07/15 22:08  | URL | 矢麻 #DrUjoqh6[ 編集] ▲ top
- ☆矢麻サン -
矢麻サンの突き刺さるような繊細な詩には
よく泣きそうになってますよ
伝わる言葉を大事にしなきゃいけないんですよね
詩って全く解ってもらえないなら意味がないです、
姉の一言で自分の書くべきものを見失いました、、汗

不気味なものを書いていると自分が怖くなります。
しかし、死を持ち出すときに、
一般的にはその不気味さは必要なことが多いと思うんですね。
そこで「悲しみは一人で抱えるものではない」という希望のようなメッセージを込めながら
このような詩を書きあげました。
そして、「苦しくてどうしようもない悲しみを隠そうとする人」と心で向き合って、
その痛みを共有したいという気持ちが、この詩の核になっています。
そしてその共有は、二人だけのものではなく、
たとえばこの詩の場合「死」を見つめる人みんなのものであるということが言いたかったのです。
他にもいろいろ伝えようとしている事柄はありますが、概要はそんな感じです。

「ちぎれそうな胸の切なさ」ですか
まさしくそれを抱えながら書いた詩でした。
書き手の心情がたとえ一人にでも伝わったのなら、
もう充分なのかもしれませんね。笑
2008/07/16 05:35  | URL | みそた #mr.yTZD6[ 編集] ▲ top
-  -
解読ヒントの前に読んだんですが、それでもこの詩はものすごかったですよ。むしろ解説がなかったからよかったのかもしれません。

伝わらないことないですよ。ちゃんと伝わってきました。ただ、それがみそたさんの意図した想いだったのかは分からないです。多分その想いは、歪んでねじくれてトンネル潜って上下逆さになって偏光版を通過して、いろいろな形となって読者の元に届くんだと思います。

読者って不親切なものです。作者の想いを完全に理解することなんてありえない。僕なんかまさにそんな感じの読者です(頭悪いですし)。実を言うとみそたさんが描いていることの1割すら、僕は分かってないような気がします。たまにみそたさんの詩に付いている解説を読んだりすると、僕の思っていた詩の感想と大分ずれてたり、見当違いも甚だしい解釈をしてたりと、なんか僕全然分かってないんだなぁって思うこと多々ありです。

それでも僕はみそたさんの詩が好きであるし、実際にあなたの詩はすごいんだと思う。この詩でも、初読から僕は強烈な感動を覚えたし(感動って言うのはちょっと違いますかね、衝撃…とか)、解説を読んでからもその衝撃は色あせない。

ぼく最近おもうんです。伝わらない言葉がぼくはすごく好きだ。分からない言葉が、届かない言葉が、ぼくは好きなんです。なんかよくわかりませんけど。
だから…だからってどうこう言うわけじゃないけど、みそたさんの言葉がぼくは好きです。もちろん伝わっている言葉も分かっている言葉も届いている言葉もみそたさんの詩にはたくさんあって、それもひっくるめてです。

すみません無駄話が過ぎました。

いろいろ解説されてるんであんまり喋っても仕方ないのですこしだけ。ただし解説読む前の感想なので、個人的偏見が強烈です。笑

>おれは寂しさをさんざんつきつけられた挙句に
>少年の横で強度の悲鳴をあげる

残酷だなぁと思った。最初は、です。傷跡の滲むような厭な表現のあとで悲鳴ときたらちょっと不気味にも程がある。なんて思いました。最初は。

>それから最後の屍骸を指差して
>おれがしたように少年は無惨な悲鳴をあげる

でも少年の上げる悲鳴を聞いて、なんだか少ししみじみするような感情が沸いてきました。「おれ」と「少年」、共有する痛みを確かめ合っているような、そんなかんじ。

もし二人が悲鳴を上げなかったら、もう救いようのないくらい暗い話になってたと思います。ただ、二人のあげたその「悲鳴」が、ぼくには救いの象徴のように思われる。「悲しみの心」を「形」として吐き出す二人。まだ二人には死んでいない心がある。「悲しみ」が「悲しみ」としてそこに確かにある。共有する痛み、二人の腕にある青い傷が、お互いどこか通じ合っているのかもしれません。

悲しい、と思える気持ちは、もしかしたら僕らにとって大切なことなのかも。悲鳴をあげること、ぼく達の痛みの確認みたいです。

2008/07/16 15:57  | URL | まよほら #32TY/qeQ[ 編集] ▲ top
- ☆まよほらサン -
熱心な感想ありがとうございます、自分らしくこれからも続けていきます。「詩作ディフィニション」で読者との隔たりを既に語っておきながら、なにを今さら悩んでんだよって感じですよね!!苦笑
くどいようですが、姉の一言を聞いて、「誰も何も感じてくれないんじゃないか」って怖くなったんです。でも少人数にでも伝わるものがあったと知って、安心してます。

作者が解説を付けたところで、結局は自信に満ちた有力な解読例の一つにしかならないんです、俺の詩の場合は。みんながどうなのか知りませんが、俺は詩を書いたときの気持ちと読んだときの気持ちに多少ズレが生じてます。なんていうか、解説を書いているうちに、自分で本当はなにが言いたかったのかがこんがらがって判らなくなるということも少なくないんです。
 その事実は「解説なんてできない」ということに繋がり、朝に投稿したこの作品の解説すらも全力で否定するほどの力を持ちます、が、しかし、まぁ「完全な解説ができるくらいなら詩を書かずに小学生のような作文でもしていろ」っていう話だから、そのことを原因に落ち込んだことは一度もないです。

 ということで、やっぱりどうあがこうと、作者を含めた読む人側が、持っている鏡に何を映すのかが問題なんですよね。どんなものを映したとしても、誰か一人に、たとえ作者だけであろうと感動を与えられたのなら、その詩には即価値が生まれるんでしょうね。そう考えると、この詩も捨てたもんじゃないなっていう楽観が生じます。

 まよほらサンは「1割も理解してない」なんてこと言わないでくださいよ! あなたの叮嚀な感想の中には、ズレはあっても間違いなんてないです。俺の伝えたいことなんて、オブラートに包んでラップ巻いてビニル袋に詰めて箱に入れてリボンとかで綺麗に包装して更に紙袋に入れて腕に抱いて届けようとしてるものですから、中身を開いて知るまでにものすごい過程が必要になるんです。しかもリボンの結び方とかテープの張り方とかのせいでなかなか開ける気にもならなくなるっていうか。そんなことする変人は作者の俺だけで充分っていうか。紙袋に添えた手紙だけでも読んでわかってくれたらいいっていうか。むしろ既にこの喩えからしてめんどくさいよねっていうか。

いえーい爆

ほんとに結局何が言いたいのかっていうと、まよほらサンがどんなに解説を読んで俺の意図とすれ違った解釈をしていたんだと感じたとしても、理解してもらった内容は決して無駄にはならないし、読んでくれた努力が俺としては嬉しいんですよ。そして本当は俺の解説のほうが間違っている可能性が無いわけではないってのも忘れずにね!


さて、ていうか、感想とっても的確ですし。
もう、俺からこれ以上語ることないくらいですし。
ひたすらありがとうございますとしか言えませんし。

まぁ、一言だけ。

心に携わることって、人にとってすべて本当に大事なものだと思います。ただそれがマイナスイメージなものであったとき、ただ嘆くだけで終わることは絶対にしたくないんです。どんな形であれ希望を求めたいです。そしてそこから生まれるものこそが、幸福の種や断片であると信じています。
2008/07/16 18:52  | URL | みそた #mr.yTZD6[ 編集] ▲ top
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